北の母子像

この作品は、本郷新が1978年に北海道文化賞を受賞した際、北海道に寄贈されました。「北海道に生まれ、こよなく故郷を愛し続けている私にとってどんな賞よりも貴重で、うれしい受賞です。このお礼として、限りない母子像の愛情を表現した私の作品を感謝として北海道に寄贈し、道民の皆さんに親しんでいただきたい」と語りました。制作年は1978年。道庁北側前庭に設置され除幕式が行われたのは、本郷が2月13日に亡くなって3カ月後の1980年の5月12日でした。式は、重子夫人、次男の淳氏、そして友人の彫刻家本田明二をはじめ関係者の見守る中で行われました。この作品は、道庁前庭に設置された最初の彫刻となりました。

本郷は、74年の生涯でブロンズ、木、テラコッタなどの様々な素材を使い、17点の母子像を制作しています。最初の作品は、1936年の第11回国画会に出品した《母子像》でした。特に、晩年の1976年から1978年にかけて集中して母子像のテーマに取り組んでいます。本作も晩年に制作された作品のひとつです。

母子像について本郷は、「愛のかたちの追求」であり、「彫刻家にとって永遠のテーマである」と語っています。造形的には、「昔と今、都会と田舎、西洋と日本などの違いがどうしても出て広大無辺な愛が限定される」と考え、説明的な顔の部分を省略して最初は母の首のない「顔のない母子像」を制作しました。しかし、野外彫刻として設置されることを考慮に入れ、最終的には首のないトルソの形ではなく、全身像としたようです。

同じ作品が、本郷が永く暮らした東京都世田谷の区役所前に《母と子》のタイトルで設置されています。